推薦コメント

本作の東京公演や配信映像をご覧頂いた方々からコメントをいただきました(順不同)。
お寄せくださった皆様、誠にありがとうございます。
大阪公演のご予約や配信のご購入を検討されている方も、是非ご参考にしていただければ幸いです。


鈴木保奈美<女優>
どこからが舞台でどこからが客席か区別がつかないようなワイルドな空間で、ヤツらはいきなり卒業式の進行についてそれはアツい討論を始めたのだ。
まったく無駄のない台詞の高速の応酬、全員が互いの伏線を見事に回収し合いながら怒涛のごとくフィナーレへなだれ込む壮大な屁理屈フェス!
こんなヤツらを知らなかったなんてアタシは人生半分損してたわ、と後悔の涙に暮れる帰り道であった。
文化祭のも、大好き。ゲシュタポのは熱出しちゃって観に行けなかった。
そして待ってたよ、かげきは達よ。多いにちまちまと暴れてくれたまえ。
でさ、例のブツは選手村にまだ隠してあるんだよね?
辰巳琢郎<俳優>
笑った。マスクをしながらだけど、今年一番笑った舞台。
最高に面白かったこの舞台、大阪公演が始まる。
観る人の年齢によって理解度や笑いのツボは違えど、ウェルメイドな作品であることは確かだ。
機動隊と揉み合った最後の世代としては、懐かしさとともに苦い思いも甦る。
政治に無頓着ではいられなくなった今の時代に、必然的に登場した芝居ではなかろうか。
キクチユウタ<俳優・ゲキバカ所属>
先日のオリンピックの開会式でドローンが球体を作り、そこにピクトグラムを表現するパフォーマンスがあった。(放送ではなかったけど)
夜空に浮かんだ球体と、その球体が表現するピクトグラム。
放送では人がピクトグラムを表現し、全50種類のピクトグラムが終わった時に僕はテレビの前で手が痛くなるほどの拍手を送った。

表現は常に進化してるし映像編集にすれば多彩な表現がいくらでも出来る。
夜空に球体も浮かべられるし、ピクトグラムだって作れる。
もちろんそれだって凄いことだ。

だけど、やっぱり生で、編集無しで行われる表現には独特の感動がある。
その瞬間にしかない感動がある。

本当に久しぶりに観た演劇は
『かげきはたちのいるところ』。
なんてタイトルなんだ。
そう思って観劇したけど、やっぱり最後は手が痛くなるほどの拍手を送った。
生で、編集無し。
目の前で行われるパフォーマンスに心は動かされっぱなしだった。

新生インディペンデントシアター2ndで8月13日から上演ですよ。
さすが相内さん(劇場P)、よく許可しましたねぇ(笑)

高間響<劇作家・演出家・笑の内閣所属>
仲の良い冨坂くんという(ノブリモに出てくれた前田さん、あさこし君もいる)同じ三谷幸喜影響受けまくりコメディ劇団であるアガリスクエンターテイメントの、「かげきはたちのいるところ」大阪公演のゲネを見せてもらった。

無理してゲネを見せてもらったのと、13日に日替わりゲスト出演の予定だった髭だるマンが出れなくなって心配かけたのもあって、あと2日だが批評を書こうと思う。

つづきを読む

とある一軒家で共同生活をする、過激派極左集団のゆるふわシュチュエーションコメディと名をうっている。東京五輪粉砕を掲げる極左集団である。これ別にこの状況だからではなく、COVID-19の前から予定していた公演だそうで、現実がああなってしまったというのは、うちの「東京ご臨終〜インパール2020+1」と言い、大変なこっちゃである。

極左集団を扱ってるというと、お堅い思想劇を思うかもしれないがそんなことはない、革マルと中核と共産党が不倶戴天の敵であることも知らずに左翼を一緒くたにしてるようなアホなネトウヨ並みの知識でも十分楽しめる。そのなの通りゆるシチュエーションコメディであった。

同じ三谷影響と言いながら、私はプロレスに行ったり時事ネタに行ったりとずいぶん離れたが。冨坂くんは正統な三谷後継者だ。もう、シチュエーションコメディをあまりしなくなった三谷さん本人より90年代の三谷作品みたいな作品を作る。今回のかげきはは、昨年COVID-19の影響で延期になり、その間映像版のシットコムもしていた。要はまずは設定の勝利である

結局、採用されなかったのだが、最近LINE漫画の原作の仕事依頼がきて張り切ったわけだが、漫画の勝負は「どういう設定でやるかどうか」である。「名前にノートを書いたら死ぬノートがある」とか「人を喰らう巨人がいて、人類は壁の中に逃げ込んでる」とかそんなもん、そうそう思いつくものではないし、そんな突飛な設定、当たるかどうかのリスクがありすぎて、そうそう成立しない。新人だった諫山さんに「進撃の巨人」をやらせたマガジンはすごいし、「デスノート」が採用されたのはすでに「ラッキーマン」での実績があるガモウさんだから・・・じゃねえや、大場さんもあの時点で新人だ、ジャンプもすごい

なので、ありがちな物語を描くために、「今までそこは取り上げられなかった設定」を出すというのはとても重要だ。医療ものをやるにしても、外科医はやり尽くした、じゃあ産婦人科だといったのが「コウノトリ」だったり、獣医だといったのが「動物のお医者さん」であろう。部活ものだって昔は野球、サッカー、バレー、テニスくらいだったのがマイナースポーツだったバスケをスラムダンクの成功によって、本当にいろんな部物が増えたと思う

そこで、この時代になって、極左集団を思いついたところにまず冨坂くんの成功がある。僕は彼を知ってるが、彼は別に極左を支持する思想はない、「シチュエーションコメディが描きたい」というのが全てだ。そこで極左集団まで行き着いた時点でもう勝ちであると思った。三谷さんのようなシットコムを描きたいということだろう、三谷さんだって「定時制の高校」て設定を思いついたところが勝ちだったわけだし

ということで「かげきは」はパッケージングとして非常に優れている。劇中の中には、2018年から2023年まで、何日かの様子が連続ドラマにのように分かれている。正直にいえば個々のストーリー、シチュエーションのうち全てが優れているわけではない。要は「これは極左集団の共同生活でなくても出来るストーリーだ」という話もあった。

ただまあ、それはそういうものである。というより、このパッケージング化ということが、今後の演劇にも必要になってくるかもしれない。例えば、福山しゅんろうさん、日詰千栄さん、のユニット「はひふのか」は、定期的に毎回同じ役、同じ設定で別な話をする公演を短期的にやりつつ、始めて見た人でも面白い芝居をしているが、COVID-19で新規獲得が難しい以上、連続ドラマ形式で確実に固定客にきてもらうというのも重要かもしれない

もっといえば、僕もこの「かげきはシチュ」で1本書きたいなと思った。例えば「相棒」は輿水さんが設定を作ったドラマであるが、何人もの脚本家が関わって、右京さんも好きに動かしている。いうて多分左翼の知識は僕もあるし、このシェアハウスで起こる騒動の1話を書きたいし、アガリスクと仲の良い作家では乗り気な人もいると思う。んで、冨坂くんがあまりに初期設定を逸脱してないかをチェックし演出する。そんなことも良いのではと思った。

褒めてばっかりなのもあれなので難点をいえば、せっかく1年延期をしたのに、COVID-19の影響がほぼないのは残念だった。この話中に、彼らの「東京五輪粉砕」が瓦解するにせよ、それはCOVID-19とは関係がない。そりゃこんなことにならず、去年上演できてれればこの終わり方でいいのだが、1年延期しこうなっているのだ。

というのは、この物語が「青春もの」だからである。

劇団は「ゆるふわ」と言ってるものの、青春ものとは言ってないから、勝手に僕が定義づけるのもあれだが、これは「青春もの」だ。若者が集い、一つの目標に向かっているからだ。

僕は学生時代の課題で、「なぜ学生運動は衰退したのか」というレポートがあった。そりゃ多くは「浅間山荘をはじめとした内ゲバと過激路線で支持を失ったから」と書かれていたが、僕は「他に楽しい娯楽が増えたから」と書き、教授からなかなか良い視点だと言われた。実際その教授は、思想よりも、モテたくて、何かに熱中したくて学生運動をしていたようだ。青春なのだ。もちろん、青春のためでも非合法活動はしたらあかんけど

しかし、Covidー19は、本来大学1年になったら多くの学生がやりたいことである「集い目標に向かって進むことを」を封じた。今の、1回生、2回生はそれを体験できていないのである。実は、「入団希望者が全然来ないこと」で有名なうちの劇団に最近、チラホラ希望者が来ているのだが、おそらく僕はそれこそCOIVD-19の影響だと思っている。学生劇団が機能してれば、入学した途端にうちに来なくてもいいからだ。

「共同生活」というのは、この状況下一番危険なものである。もし今回の極左集団の瓦解が、「オリンピック延期故の目標の喪失」による瓦解であればなおテーマに合致してたし、「Covidー19の影響で共同生活が瓦解ー怖がり派と気にしない派の対立、怖がり派がステイホームするも、気にしない派が出かけるから共同生活ができないとなるとか、外山恒一方式でむしろ感染拡大させまくって中止に追い込むために馬鹿騒ぎしよう、これこそテロだっていう派と、それじゃ俺らの手柄にならないから意味ねえじゃねえかという対立とか、屁理屈シチュエーションコメディ劇団に相応しい面白い議論ができたと思う。それがあれば歴史に残る傑作になっただろうに、残念である。

そして最後に劇評とはずれるが、この「若者が集いづらい状況」というのは、とても危機である。上記のように、この1年半学生公認サークルはほぼ機能していない。そうなったら若者はどうするか?一部は機能している若者の集団に入って青春を謳歌することもあろう。今、COVID-19を気にせず勧誘できる集団こそ、まさに極左集団ではないか。もともと、大学から非公認なんだから関係ない、いや、今の1、2回生の極左加入率が高いか低いかは知らんが、別に思想云々ではなく集って青春することが大事なわけで、別に演劇でもテニサーでも極左活動でもなんでもいいのだ。奴らは今チャンスだと若者をオルグしてる可能性はある。笑の内閣は、マクラDEリア王に出演した、野口萌花だけは演劇に引き留めたけど全員は無理だ。各大学よ、学生を非合法活動に従事させないためにも、今すぐサークル活動を再開させよ!別に学生がクラスター起きたっていいじゃないか、死にゃあせん。批判されたら「極左にオルグされるよりマシだろう」で反論してやれ!以上

(追記・あと髭だるマンがやる予定だった、ネトウヨの役は本当に僕が「ツレウヨ」でやらせてる役そのまんまだった。彼がやるためにも再演してほしい。2週間後には隔離明けるので、早くて2週間後でできるよ)

西川康太郎<俳優・ゲキバカ/おしゃれ紳士所属>
アガリスクエンタテイメント『かげきはたちのいるところ』

東京オリンピック中止を武力闘争で成し遂げようとする『かげきは』のお話。
一軒家を借り、前線基地だと会議を重ねる。

基本的には一幕もののコメディなのだが、なんというか、『誰かと何かをしたことがある人』に向けた物語なんだな、と思う。
大概の人は『誰かと何かをしたこと』があると思う。
別に何でもいい、甲子園を目指した、とか、そういう鍵カッコがついたやつじゃなくていい、全然普通の、キャンプに行く、とか、誰かの誕生日を祝う、とか、そういう事でいい、なんならバイトでいい、誰かと何かした時に

『あれ?』

とか

『お?』

とか

『やっぱな』

とか

『いいじゃん』

とか

そう思ったりした人の話、思って伝えた人の話、思ったけど伝えなかった人の話。

なんか難しそうですか?
大丈夫!!ほぼコメディだから!!!

藤原治基<おうさか学生演劇祭主宰、㈱バイタルアートボックス所属>
久々に芝居を観ながら声を出して笑った。いつ振りにだろう?
こんなご時世でなくても「かげきはたちのいるところ」は素直に笑えるエンターテイメント。
笑いながら登場人物ひとりひとりの生き方に共感し心動かされた。見知らぬお客さんたちと笑いが同調する瞬間が心地よかった。
私たちは今、いけないことをしているのだろうか?
生きていくということがこれ程苦しい時代に勇気と笑いと共感を体現できました。
右近健一<俳優・劇団☆新感線所属>
おもしろい。
キャラがとっても
素敵だよ。

以上、観劇川柳でした。

相内唯史<インディペンデントシアター劇場プロデューサー>
アガリスクエンターテイメント『かげきはたちのいるところ』を観劇しました。当たり前だけど、自身の関わっているINDEPENDENT以外で初の新2nd、そしてちゃんと客席で観た最初の作品。
タイトル通り、過激派のアジトを舞台にしているけれど、物騒な感じはなく、知識がなくても楽しめる良質な群像コメディ。
部活や学園祭や、サークルやボランティアなんかで、集団で目標に向かって仲間と頑張った経験のある人にはとても刺さると思う。笑ってグッと来て忙しい!
今日は改めて客席で他のお客さんと一緒に笑うって本当に幸せな事だったんだなぁと実感!
上﨑陽介<劇作家・演出家・東京ガール主宰>
とてもおもしろい作品でした。
こんなご時世に大丈夫なのかな?と思いながら声を出して笑わせていただきました。

過激派たちのアジトなる共同生活のお話。
した事ある人ならわかる共同生活のあるあるネタに、した事ない僕にもそうなのかなと思わせる過激派たちのあるあるネタの数々。
どこか言葉からは緊張感のある過激派の方々は、まるでそうでなく、とてもユーモラスに愛されるキャラとして生活している。
「かげきはたちのいるところ」とタイトル通り、ひらがなで書かれるコメディでした。

セリフの面白さもさる事ながら、コメディ特有の『それは無茶じゃない』と思いそうな理由も、役者の演技力と劇団の持つグルーヴ感で納得させられる面白さがありました。
気を抜くと当然のようにスッと過ぎてしまう展開も、思い返せば何故に納得させられてたのかわからない。ありえない事がありえるコメディだからこそ大事なこの説得力の自然さ。そんなバカバカしさを作れるのも、15年という月日が成せる技なのかなと感服しました。

『かげきは』たちの過ごした時間を青春と感じるなら、これもまた青春なのかなと思う。クラブやサークル、劇団やバンド等々で集団活動をした事のある人なら感じるだろうこの感覚。
そんな気持ちを感じた作品でした。

南出謙吾<劇作家・劇団りゃんめんにゅーろん/らまのだ所属>
面白かった。笑った。笑うっていいことやなと、今さら思う。

「面白くなるにきまってるやん」という状況にとことん追い込んでいって、そこで、とことん面白いことをやる。
ついにもう、「面白くになるにきまってるやん」って状況に追い込まれただけで、まだ面白いことやってないのに、ちょっとフライングして笑ってしまってる。
あかん壊れかけてるやん自分。笑いのパブロフの犬状態。
「面白いだけではない」というスパイスも効いてて、でも「面白くなること一番」という軸は絶対にぶれない。

観て笑った後もしばらく、体がうれしいままです。

フジタタイセイ<劇作家・演出家・劇団肋骨蜜柑同好会所属>
わたしのいたところ(あるいはいまも)

本作は言うまでもなくコメディである。

だが全くもって「冗談じゃない」!

遠大な目標を掲げ、その実しょーもない日々のグダグダやトラブルのためになんとなく生きている、どうしようもない奴らの吹き溜まり。それが、かげきはたちのいたところだ。

そして我々もまた、そうだ。グズグズ人生を浪費している。あれは僕だった。なに言ってんだおれは。

笑ってくれ、笑わないでくれ、笑い事じゃねえ、といいながら笑う、本当にしんどい観劇経験をさせてもらいました。榎並さんのあのシーン泣くしかないですよね。

正直心の地雷原をあまりに軽やかにスキップされて、おいおいやめろ、俺は笑いにきたんだぞ、って不当な無い物ねだりもしたくなるけれど、でも、たしかにわたしはそこにいた。彼らはそこにいた。ああやってしか、生きていけないのだろうか。彼らに怒りはあったのか。怒りのために生きたのか、生きるために怒ったのか、怒りを忘れて笑ったのか、いや、そんなことはどうでもいいけど、というかこんな文章書いたところで本作の魅力は1ミリも伝わらないし、僕の個人的なことなんか誰にとっても知ったこっちゃないわけですが、超絶真っ当なドラマの中で、全くもって冗談じゃない、冗談みたいにくだらないが平然と過ぎていく、間違いなく笑える青春群像喜劇です。快作でした。ごちそうさまでした。

文章なんかまとまらないよ。